カイモノグラシ

本当に欲しいものだけを買う

スポンサードリンク

名著「星の王子さま」は 大人のための童話 多くの人が支持する理由 

 

 

 Amazonレビューでは5つ星のうち 4.7でした

 

以下、読んだ人の感想

 

 

 

 

星の王子さま』は、やはり、大人になってみて、はじめてわかるという本なのだと思います。
つまり、失うことではじめて、その本当の大切さに気づくというプロセスを経験したものだからこそ、王子さまや大人の「ぼく」の抱いている“悲しみ”に共感できるのではないでしょうか。

私が訳も含めて慣れ親しんでいるのは、こちらのハードカバーのオリジナル版になります。
読む度に、心に響く箇所が微妙に変わってくる、実に不思議な本だと思います。
あらためて読んでいて、大人になった「ぼく」(そして、サン=テグジュペリ自身も)が、王子さまの姿を通じて、実は、子どもの時の「ぼく」と出会い、向き合っている、そのようにも感じられてまいります。

今回、私は、王子さまが故郷の星に残してきた一本の花が如何に大切な存在であったか、本当はとても愛していたのだなあ、ということに気づくところが、特に心に沁みてなりませんでした。
王子さまは、近くにいる時には、わがままやずるさがやたらと目に付いていたのに、遠く離れてみて、その花の持つ真の優しさというものを思い知ることになります。
彼女が日々の暮らしに芳しい香りと光を与えてくれる掛け替えのない存在であったということは確かだった、なのに、どうして、ぼくは彼女から離れてしまったのだろう、どんなことになっても、ぼくは逃げるべきではなかったのにね、と王子さまは寂しそうに言います。
これは、サン=テグジュペリの経験に基づく言葉のようにも思えてまいります。

最初は、世界でも稀な花という、その花の言い分を信じて大切に慈しんできたのに、地球に来てみたら、一つの庭に五千本も咲いているようなごくありふれた花=バラであったということを知り、王子さまはショックを受けてしまいます。
でも、王子さまは、その後、手間暇かけて慈しんできたからこそ、日々会話を交わして慣れ親しんできたからこそ、世界で一本しかない花になるのだよ、ということを、友だちになったキツネのお蔭で学びます。そして、「かんじんなことは、目に見えない」のだから、心で見るべきだということも。
王子さまは、その一本の花のためには、たとえ死んだって構わないのだ、と思っている自分に気づかされます。

きっと面倒なことも含めて、相手のために心を込めること、手を掛けること、欠点も全て受け入れた上で広い心で向き合うこと、許しあうこと、そして、何があっても逃げ出さないこと、それが特別な存在、唯一無二の存在になる、ということなのでしょう。
確かに、愛する一本の花が満天の星空の中のどこかの星で咲いている、と思うだけで、夜空を見上げることが、星を数えることが、日々の限りない喜びになってくるものなのでしょう。
そう、愛する人、愛するものがいるということだけで、世界の色彩そのものがガラリと変わってしまうことにもなり得るのです。

斯く言う私にも、大切な人がいるのですが、悲しい哉、その人は暫くの間、行方不明状態になっています。
でも、その人が何処であっても同じ空の下、生きてさえいてくれれば良い、それだけで、私の心には(辛うじてですが(笑))太陽が顔を出し希望の光を放ち出しますから。今はただ、明るい心を失わずに、待つしかありません。

そういうわけで、この本を時々開いてみて、大人の貴方にとって、世界で唯一の存在と言えるものを再確認してみてください。
そして、心の目で見ているのかということを自分に問い掛けてみてください。
もし忘れかけていたなら、思い出して、それを、その人を、大切に慈しんでください。

 

 

 

 

泣きました。
感動したから?オリジナル版に接したから?それとも・・・いいえ、違います。もう、すっかり大人になってしまった自分に向かいあってしまったからです。
「大切なものは目に見えない」と知りつつも、年齢や地位などで、人を見ている私。他人に目に見えるもので、自分を守ろうとしている私。そんなつまらない私。子どもの頃、この本を読んだはずなのに、いつの間にこんな自分になってしまったのだろう。こどもの頃の本当に大切だったものをどこに置いてきてしまったのだろう。こんな大人の自分が嫌だ。涙がとまりませんでした。
大人のための童話。それは、大人になって、自分をつまらない物で飾り立てている私にとっては、悲しく辛い本でした

 

 

 

4回読み直した。サン=テグジュぺリの本は、どれも難しい。その中でも「星の王子さま」は、私が長くそれを考え続けている本だ。
私は、小学5年生の時はじめて読んだ。その時、意味が分からないところはとばした。
2回目は中学一年生のとき、本文始めの4ページだけ繰り返し考えていた。どうして冒頭は「レオン・ウェルトに」で始まるのか。ウワバミの話も謎だった。
次の読書は、本文を場面ごとに切り取りながらだった。バオバブの手入れ、王子さまの薔薇、別の星を旅して其処此処で出逢った人たち、地球に着いたばかりの王子さまと友達になるキツネ・・・。
読めば毎回、神妙な気持ちになってしまう。素直に読もうとする必要がない。そして、自分が変化しているという発見を見つけてしまう。
私は、バオバブの手入れの様子をテグジュぺリが書いたのは、王子さまの星を説明するためだけだと、思っていた。
けれど、3回目でバオバブの険呑さの描写と<おーい,みんな,バオバブに気をつけるんだぞ!>という言葉は、抜かしてはいけない部分だと気付いた。
バオバブは手入れは面倒でも、ほおっておいたら根が星を突き通して、その星が小さくバオバブが多いと星が破裂してしまう。それは、私たちの日常にも当てはまることだ。自分の態度をいい加減にすれば、他人とは上手くいかなくなる。何かの作業を中途半端にしていれば、その過ちは多くなる。
当たり前だけれど、こういう些細な部分からも、王子さまの生きかたや考えに感心した。
何処かで躓いて、自分の生き方に悩む。誰にでもあるコト、それは大切なコト。自分の悪い部分を見つめるのは、苦しい。誰だって見たくないし、背けたままでも上手くやって行けるならそうするという人は多い。
4回目は最近。ストーリーが終わりに近づいてゆくところを中心に読んだ。王子さまが砂漠から消えてゆく中で、言う言葉。
「ぼくは,あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。だから,きみが夜,空をながめたら,星がみんな笑ってるように見えるだろう。すると,きみだけが笑い上戸の星を見るわけさ」
これは、死について語っている。この場面での王子さまの言葉は、優しく落ちてくるのに悲しくやりきれない気持ちにさせる。残してゆくのと、残されるの。どちらも、同じ重みを背負っているけれど、僅かに残してく方に傾いている気がする。
「ぼくの花,そのうち消えてなくなるの?」
「うん,そうだとも」
この本は、生きてゆくなかで変わってゆかない哲学が記されている。だから、約60年経っても世界中で親しみ読まれているし、オリジナル版として挿絵を考慮して2000年に出された。とてもすごい本だと言える。これからも、イロイロな人の手に渡ってゆく。誰かの心の中で、大切にされてゆく。私だってこの本と、自分の死が近づく頃まで向き合い続ける。本からのメッセージに完全なものなんてないけれど、そうだから私たちは自分で考えていかなくてはいけない。
この本を、子供向けの児童書だと思っていた私が恥ずかしい。もちろん、子供に読み聞かせるのも素敵なことだ。けれど、この本は哲学としての方が相応しい。ホントウの大人になる上で、避けてしまわないほうがいい。イロイロな損をするから

 未就学の子供の読み聞かせに購入しました。
まだこの年では見る観点が違いますが、何度も繰り返して読むうち、変わってくるんだろうなと思いながら読み聞かせています。子供もおもしろいようで、毎晩せがまれます。
星の王子さまライ麦畑でつかまえては、小学生のうちに読むよう、有名大学の教授が書かれていました。私は中学生から高校生にかけてかと思っていましたが、まずは星の王子さまを試しに小1と未就学の子に聞かせてみました。飽きるのかと思いきや、驚くくいつきぶりに、本って年齢は本当に関係ないのだなと痛感しました。
大人になっても、ずっと読んでほしい1冊ですね。大人も、星の王子さまの気持ちを忘れないでいたいです。